長野家庭裁判所飯田支部 昭和47年(家)175号 審判 1972年3月16日
申立人 (国籍大韓民国 住所長野県飯田市)
山本華子こと金華子(仮名)
主文
本籍長野県松本市大字○○町五百四番地
戸主松田たみ(除籍者)の原戸籍中、同籍松田華子の身分事項欄の、金丁基の養子となる縁組事項を消除して、松田華子の戸籍を回復することを許可する。
理由
一 申立の要旨
申立人は金丁基との養子縁組により松田たみの原戸籍から除籍されているが、大韓民国の慣習によると、養親となり得る者は、男子なき既婚の男子に限り、その妻は養親となり得ず、また養子は男子一人に限り、女子は養子になり得ない旨定められている。しかるに申立人の養親金丁基には貞夫と称する男子があり、申立人と養子縁組することは不可能であるのに、松本市長は誤つてこの届出を受理し、その旨戸籍に記載されているが、これは無効であるから、主文に記載のような戸籍訂正許可の審判を求めるため本件申立に及んだ。
二 当裁判所の判断
本件記録中の(本籍長野県松本市大字○○町五百四番地の)戸主松田たみの原戸籍謄本、戸主金丁基の(韓国の)戸籍の写、届出人金貞雄の(金丁基についての)死亡届ならびに医師川上健治作成の(山本正一についての)死亡診断書謄本、筆頭者松田たみの除籍謄本の各記載と、申立人審問の結果を総合すると、申立人は昭和二六年三月一四日母を松田たみとして出生したもので松田華子と命名されたのであるが、幼少時から現在に至るまで山本華子と呼称していたこと、申立人の戸籍に関する身分事項欄中には、養子縁組事項として、金丁基の養子となる縁組養父及び縁組承諾者後見人松田喜平届出昭和弐拾七年参月拾八日北安曇郡○○町長受附同月拾九日送付朝鮮慶尚北道義城郡○○面○○○八百七拾九番地金丁基戸籍に入籍につき除籍との記載があること、金丁基には韓国での戸籍上貞夫と称する男子があつて、同人は一九四一年二月一二日に出生した旨の記載がなされていること、金丁基の韓国の戸籍中には申立人の戸籍の記載はなく、申立人は現在無国籍者となつていること金丁基は山本正一とも称しており、昭和三三年五月七日に○○市大字○○六、八五〇番地市立○○病院において死亡したが、同人の死亡届の届出人は金貞雄名義となつており、該死亡届の届出人の資格欄には同居の親族欄が丸で囲まれていることが認められる。
ところで法例第一九条によれば、養子縁組の要件は各当事者につきその本国法によつてこれを定めるものとし、養子縁組の効力は養親の本国法によるものとされているところ、申立人は戸籍上一九五二年(昭和二七年)に金丁基の養子となつた旨の記載がなされているのであるから、右養子縁組事項については一九六〇年施行の大韓民国民法の適用はないこととなるが、およそ同国民法施行以前の大韓民国の慣習によれば、養親となり得る者は男子なき既婚の男子に限り、また養子は男子一人に限り、女子は養子になり得ないとされていることが認められるので、これを本件についてみると、前記認定のように金丁基には貞夫と称する男子の一子があり、しかも申立人が養子となる以前に出生しており、また申立人は女子であるから、右慣習によるときは申立人は金丁基の養子となる縁組をした当時においては金丁基の養子にはなり得なかつたものといわなければならない。
そうすると韓国人である金丁基が昭和二七年三月当時養子になし得なかつた(一五歳未満の)日本人女子である申立人を養子とする縁組届が(当時の)北安曇郡○○町長に提出され、右縁組の届出が○○町長によつて誤つて受理され、戸籍にその旨の記載がなされたものというべく、したがつて右は無効な縁組といわなければならない。
よつて戸籍法第一一四条により右無効の養子縁組事項の記載を消除して、これが回復を求める申立人の本件戸籍訂正の申立を正当として認容することとし、主文のとおり審判する。
(家事審判官 柳原嘉藤)